ロルフィングとは10回の施術で全身を整えるアメリカで開発された整体(ボディワーク)です。

指導を受けたことで身体感覚が徹底的に乱された経験

はじめに

社会人になってからストリートダンスの他にテニスを1年ほど行なっていました。縁がありテニスサークルに所属し週1回の頻度だったのでテニスの感覚を覚えては次の練習までに感覚を忘れるという感じでしたが、それでも少しづつ慣れてきます。強い打球も打てるようになってきた時のことです。

サークルを主催されている方から指導を受けたことがきっかけでテニスを行う際の身体感覚が徹底的に乱されてしまい強い打球を打つどころか、自分の動きでテニスを行うことすら困難になってしまい置きに行った小手先のプレイしかできなくなってしまいました。

これは「手段の目的化」と「プレイヤー意識による指導」がこの状況を引き起こした原因でした。

今回はこの当時のことについて記事にしたいと思います。

自分の動きとテニスが合致する感覚

テニスを始めたのは、職場のスタッフがこのテニスサークルに所属していたということで紹介されたのがきっかけでした。このサークルには参加できる時だけ練習に参加するという形でよく毎回10から15名程度が練習に参加していたと思います。

初期の頃は経験者とは別のコートで特に細かい指導はなくボールを打ち返す練習を淡々と行いテニスに慣れるという感じでした。

それから徐々に経験者のコートでの練習に移行していきました。

ある時に自分の動きとテニスのプレイが合致する経験がありました。それまではある意味借り物の動きでテニスをしていたのが、自分の動きでプレイできるようになった感じで、全身を躍動させて強い打球をコート内に打ち返すことが突然できるようになったのです。

この時、テニス素人の自分が見ても明らかに通常のテニスのプレイスタイルではない事はわかりました。かなり特徴的な打ち方だったと思います。

体幹連動トレーニングであるインターロック・エクササイズはテニスを始める2年ほど前から実施していたので恐らくはこのインターロック・エクササイズによる体幹主導の動きを自己流でテニスにアレンジした結果だと推定されました。

但し、これがテニス経験者である主催者の方にとってはあまり心地よくはなかったようなのです。

自分の動きができなくなる

自分流のテニススタイルでテニスができたのは恐らくは数回の練習(数週間)だけでした。

なぜなら、その後にフォームを半強制的に修正されてしまったからです。

自分でもわかっていたように一般的なテニスの打つフォームとは異なっていたことが主催者の方にとっては認められないようで、一般的なテニスのフォームで打つことを要求されました。

これはマズイ

と直感的に感じました。大学からスポーツなどの身体運用の上達方法について探求してきていたので今ほどではないですが身体や動作についてわかってきていた時期です。フォームというのは形で修正すると明確に感覚を乱されます。パフォーマンスは明確に落ちるのです。実際には何らかの練習やトレーニングを行い「結果的にフォームが修正される」というのが本来の方法論です。

それが単に言葉だけというステレオタイプの指導とも呼べない指導(一種の命令です。日本のスポーツ界ではよく見られる光景)。

一度は聞いたように見せかけて、次の週には元の自分のスタイルに戻したのですが、その週にも指導が入りました。それも少々苛立った様子。僕自身がテニス初心者ということ、少人数のサークルという社会的要因により従わざる追えない状況。この社会的プレッシャーはかなり厳しいものでした。

結局、自分本来の動きを犠牲にして形だけの要求されたプレイスタイルで行うことで完全に身体感覚が乱されてしまいました。全てのプレイが置きにいったような小手先のプレイになり結果として強い打球は打てなくなりました。打とうとするとコートからは大きく外れてホームランになります。

そして、予想通りその後は“何も指導されること”はありませんでした。

自己満足の指導は害悪でしかない

その後には“何も指導がされなかった”ことが全てを物語っています。

「パフォーマンスを高めて欲しい」という思いがあっての指導でしたら指導に必要な知識や技能が不足していることは問題ですが、その後改善する可能性はあるのでまだ望みがあります。

ですが、このケースは善意というよりもこの指導する側の「我」しかないのです。テニス歴が長いというバックグラウンドを持っているが故に「テニスはこうあるべきだ」というエゴが大きい状態。その為に初心者が勝手なスタイルでテニスをプレイするということが許せないという心理が働いていたのです。

こういった例は日本ではよく見られます。プロ野球では野茂投手のトルネード投法やイチロー選手の振り子打法は初期にコーチによって強制的な修正を受けたことは有名です(このコーチは結果ではなく単に自分の主観を満足させる為に指導という名の強制力を発動させたわけです)。その後、両選手とも自分の方針を貫き日本野球界だけでなくアメリカのメジャーリーグでも大成したのは皆が知るところです。

学校の部活動ではこうしたことは日常茶飯事です。指導者の自己満足(主観)を満たす為に結果のでない指導と言う名の暴力が行われています。

原因としては指導者の指導者意識が希薄であり、プレイヤー意識が強いことが要因としてあげられます。

「プレイヤー意識」と「指導者意識」

プレイヤー意識とは、選手が持っている意識のことです。率直にいってしまえば自己中心的な考え方のことです。選手は多かれ少なかれ自己中心的な考えがなければ勝負事に勝つことはできません。なのである意味傲慢さが必要ということです。

指導者意識とは、指導する側が持つべき意識のこと。客観性が必要とされ、選手にとって何が助けとなるのかを第一に考えます。いわば他者中心的考えが必要になります。

一般的には優秀な選手が指導者になるケースが多いでしょう。ですが昔から『名選手、必ずしも名監督にあらず』という言葉があります。

これは自分でプレイすることと指導することは異なる能力であることを示唆している言葉であると考えられます。

アマチュアでもプロでも選手から指導者にクラスチェンジする際にプレイヤー意識(自己中心的)から指導者意識(他者中心的)に変えることができるかが成功の鍵になります。

これが上手く意識チェンジできないとそのしわ寄せが選手や生徒に行ってしまうのです。

構造的に日本の部活動では教員が部活の顧問や監督、コーチを行う場合が多く、結果がどうであろうとその責任は指導者に行かない構造的な問題があるのでプレイヤー意識のまま指導者をしているケースが多いわけです。チェンジするきっかけがないがないということです。

予備校だとこの点がわかりやすいでしょう。講師がプレイヤー意識のまま自己満足の講義を行うならば生徒はどんどん止めていき経営が行き詰まることになります。生徒の目的は志望校に合格することであり講師の自己満足を満たすことではありません。

経営が苦しくなったり、人気がなくなるとプレイヤー意識や指導者意識という言葉は知らなくとも自然にプレイヤー意識から指導者意識へのチェンジが行われる可能性が高くなります。

生徒数を確保し経営安定させる為に講師の自己満足ではなく生徒が満足する講義や予備校のやり方を模索するようになるからです。

でも学校ではこうした負荷がかかりません。授業内容が稚拙でもそうそう生徒は学校を変えることができないので問題点が明確になりにくい構造があります。

こうした状況の為、学校の教員よりも予備校や塾の講師の方が「教える」という点で能力が高い人が多いことが説明できます。

手段の目的化の罠

せっかくなのでついでに書きたいと思いますがスポーツやダンスで「正しいフォーム」という言い方をよくされますが実際のところ「正しいフォーム」というのは存在しません

存在するのは「結果がでるフォーム」です。

要は一見独特なフォームであってもスポーツならその競技で勝てればよいのです。ダンスならそれが魅力になれば良いのです。

「正しいフォーム」というのはあくまでも手段なのです。それまでの経験やデータの積み重なりによって「誰でも結果がだせそう」という再現性を狙ったものです。

なので他の手段で結果がでるのならそちらのフォームで構いません。

あくまでも再現性の高い方法論は「手段」でしかありません。求めるのは「目的」を達成すること。

このように考えると如何に上記で記してきた自己満足による指導内容が検討外れかがわかります。

指導者が正しいと(勝手に)思っているフォームを指導して結果が改悪されてしまった。でもその正しいとされるフォームをやらせ続ける。

これはまさに手段と目的の逆転した状態『手段の目的化』です。

よく「⚪︎⚪︎トレーニングは効果がありますか?」「⚫︎⚫︎のトレーニング道具は効果がありますか?」といった質問を受けます。

その際に『適切にやれば効果はでますが、下手に行えばマイナスの効果がでます』と言うよな歯切れの悪い返答をすることが多いです。

恐らく質問者さんの意図する白黒をはっきりつけるような答えにはなっていないと思います。

でもこれは事実をお答えしています。

トレーニングやトレーニング道具というのはあくまでも「手段」「道具」でしかありません。ノコギリも大工さんが使えば家も建てることができますが、素人が使うと折角の木材も寸法通りに切れずに只のゴミにしてしまいます。

手段(道具)というのは使い方によって結果は良い方向にも、悪い方向にも向かいます。

練習をいくらしても練習方法がダメだったらどんどんパフォーマンスは低下します。

大抵は『手段』は派手で目立ちますから、どうしても手段を目的と誤解することが多くあります。

そうした『手段の目的化の罠』にはまらないように気をつけることは、上達する際の秘訣です。

結果のでない手段は意味がないんです。

まとめ

実は身体感覚を乱されたのはこのテニスサークルの件だけでなく、高校の野球部時代に同様の経験をしています。その為に高校3年時が人生で総合的な身体能力が1番低かった原因となりました(打っても外野まで飛ばなくなってしまっていました)。

方法論などの指導技術的な問題が多くありますが、1番の問題点は指導者が選手ではなく自分の自己満足の為に指導をしていることです。

テニスサークルでの経験はこうした「プレイヤー意識」「指導者意識」という考え方の視点を単なる知識ではなく、実際に使える技能として明確に手に入れることができるようになったので、結果的にはよかったと思います。非常に残念で不快な体験ではありましたが、、、。

実はロルフィング®︎という施術の世界でも「プレイヤー意識」と「指導者意識」の問題はあります。

このように先生から習ったからよくわらかないけどもこのワークを行う』というのも「プレイヤー意識(自己満足)」の表れです。クライアントの受ける恩恵を無視しています。

不快な体験ではありましたが、ロルフィング®︎やWS、セミナーを開催する際に非常に役立っているのは確かです。

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