スポーツもダンスも武道も同じ

はじめに

現代の日本ではなんらかの特定の競技や習い事をしている場合にその1つの種目をずっと練習することが良いことだと考えられています。他分野の練習やトレーニング方法を参考にすることなく自身の行なっている種目の取り組みのみを行うのがその種目を上達させるのに1番効率的という考え方です。

ですがこの考え方は主観的なものであり論理的ではありません。世界レベルのスポーツという人間の限界を模索する最高レベルの競技の世界では「使えるものは使う」という考え方が一般的です。

技能が高い人はクロストレーニングを普通に行なっている

プロゴルファーがトレーニングの一貫として太極拳の套路(型)を取り入れて話題になったことがあります。また出典は忘れてしまったのですがラグビーの話です。日本の関係者がある海外のチームに視察した時のこと。「何か練習の参考にしているのか?」と質問すると「何言ってるんだ。お前達の国の武道の合気道の動きだよ」と答えが返ってきたとという話があります。

日本は戦後「一つのことをやり抜く」ということが美徳になったようですが戦前では状況が違っています。

戦国時代の武士は教養として当然武術を嗜んでいたわけですがそれと同時に「能」も舞っていたとのこと。織田信長の話は有名です。また、沖縄空手では空手とともに沖縄舞踊も同時に学ぶことが勧められているというのを聞いたことがあります。沖縄舞踊の手の動きが空手と同じ原理であり、手を握られても沖縄舞踊の手の動きができていれば相手が勝手に崩れてくれるというもの。この逸話からは沖縄舞踊の身体原理として筋力ではなく体幹や重心移動による運動量(慣性力)を活用していることが想像されます。

こうした自身の行なっている種目の練習、トレーニング以外にも他分野の取り組みを取り入れることをクロストレーニングと言います。日本でも昔はクロストレーニングが普通に行われていましたわけです。

同じ人間の行うこと

ロルフィング®︎のセッションや自身でムーブメント・エクササイズを行なっていると強く感じることですが、結局各種のスポーツ、ダンス、武道など同じ人間が行う行為だということです。一見全く異なるように見えたとしてもそれは単に表現方法の違いであり、骨格的な動きの観点で観ると非常に似通った身体使いをしていることに気がつきます。

特に技術や筋力を上手く使う前提となる“素の身体の使い方”という視点だとそれはより顕著になります。「軸」や「脱力」「身体のつながり」という“素の身体の使い方”を高めていくと武道の達人にしかできないと考えられているような相手を容易に崩す現象が勝手に起きてきます(広義の意味での合気)。もちろん、状況設定の上での対人ワークでのことなので実際の組手や演武でパフォーマンスが発揮できるということではありません。あくまでも技術ではなく原理的なものなので万人に通用するものでもありません。

但し、運動の質が変わることを確認するのには有効です。

合気道などではこうした現象を技術に取り入れて体力的な要素で勝る相手を制する技を鍛錬します。でも、長年の合気道の稽古でこのような合気現象を起こせる身体になるかと言えばその保証は全くありません。稽古体系にこの能力を高める方法論が存在しないからです。実際に某団体の本部道場で稽古した経験がありますがその稽古生に合気的現象を起こせる能力を持った方は居られませんでした。稽古体系に適切な方法論があるならばある程度の稽古歴があれば多少の強い力で攻められても型通りの動きができるはずです。ですが、実際には多少の強い力で抑えると何もできない状態になってしまいました。切ない話ですが初心者相手ほど技が効かない(お手盛りで型通りに動いてくれないので)ことになります。

ですが、野球のピッチャーが変化球のカーブを学ぶのに20年も練習を繰り返すことはありません。大抵は試合で通用するかどうかは置いておくと、「曲がる」ボールは数ヶ月練習すれば誰でも投げられるものです。初心者相手なら容易に打ち取ることができます。方法論があるということはこういうことです。

なので合気道を行う際に事前に“素の身体の使い方”をある程度のレベルで習得していると合気道の上達は劇的に早くなります。また、多少の体力差がある相手で抵抗されたとしても容易に相手に技をかけられるようになります。自分自身“素の身体の使い方”をある程度のレベルでできるようになってからわかったことです。合気道自体の稽古は一切していませんが技は以前よりも圧倒的に効かせることができるのです。

こうしたことがわかってくると合気道とは合気現象を起こせるようになることが目的ではなく、すでに合気現象を起こせる“素の身体の使い方”を持っている人が相手を制する技能を養う武道ということになります。

なので合気道を上達する為には稽古体系にない“素の身体の使い方”をまず初期に習得するクロストレーニングが必要という事です。これは空手や太極拳などあまりにも達人と呼ばれる人と一般の生徒との実力差が大きいように見える分野では共通した事柄です。

空手で浸透する正拳突きや太極拳で軽く身体をふるわせるだけで相手がふっとんでしまうという現象は適切な稽古体系であるならば生徒の大半が近いことができなくてはなりません。それができないのは稽古体系に不備があるからで、その部分を改善させると一気に上達を早めます。

ダンスに合気道のクロストレーニング

ダンスに関して例をあげるとダンスという種目の特徴として身体表現の美しさ、キレイさがあります。但し、この表現はあまりにも主観的なのです。そこで、比較的客観性を保つ方法として合気道的な他者に掴まれるなど制限を加えられた状態で動けるかというクロストレーニングが役立ちます。ダンスの表現では単に身体の形を変えるだけでは魅力的な表現にはなりません。

身体の形だけを変えた表現はどうしても二次元的であり、面白みがないのです。それが適切に身体の各部位の運動量が伝わるような表現をすると三次元的で立体感のある魅力的な表現になります。大抵は見た目の技術を重視する傾向がある為に二次元的な表現でなんとかしようとするケースが多々見られます。こうした表現は「上手い」と感じても「また見たい」とはなかなか思えません。主観で練習していると身体の形に意識が言ってしまいます。

そこで実際に他者相手に掴んでもらい相手を容易に崩せる機能性がダンス表現にあるかを評価やトレーニングとして行う価値が生まれます。これは沖縄の空手家が沖縄舞踊を学ぶのと同じです。ダンスを上達させる為に武道を活用するということ。

実際に分野問わず美しい三次元的な表現をしたダンスでは突然腕を掴まれてもそのモードを崩さない限りは逆に掴んできた相手を吹っ飛ばしてしまう現象が起こります。各部位の運動量が伝わる為自然に合気現象が起こる為です。

このような機能性を伴った動きの質になると明らかに表現の美しさが変わります。

クロストレーニングを採用するのには技能が必要となる

クロストレーニングの考え方は強制ではありません。自身の行なっている種目の中に存在する練習やトレーニングで継続的に上達できるならばクロストレーニングの必要性は薄いでしょう。但し、クロストレーニングをするというのは技能でもあり、突然壁に立ち塞がれたといって容易に他分野の練習やトレーニングを参考にしようとしてもその本質が見えないということになります。他分野の練習やトレーニングをそのまま採用しても結果はでません。なぜならそれはあくまでもその分野で有効な方法論だからです。クロストレーニングを行なう場合には必ず「何の為にそれをしているのか?」という理由がわかっていないとクロストレーニングを適切に行うことはできません。

そして、こうした練習やトレーニングの意図を見抜く為にはそれ相応の技能が必要とされます。そして、その技能は一朝一夕では身につきません。普段から自身の分野や他分野にも関心を持ちあらゆる取り組みの意図を把握する習慣が必要になります。

足りない要素がわかると上達は早い

僕自身、合気道・空手・ダンスを学んできました。練習にそれなりの時間を費やしたつもりでしたが達人やトップダンサーと呼ばれる人々のようなパフォーマンスに近づくことができませんでした。明らかに練習で身につく類のパフォーマンスとは次元が全く異なる感じで、更に練習時間を増やしても一向に近づけないということでけは痛感していました。

それから10年、20年経過してわかったったことですがその稽古・練習体系の不備を補うことができると呆気なく上達できるということです。

今では合気道も、空手も、ダンスも練習は一切していません。行なっているのはこれらの分野でいうところのクロストレーニング(“素の身体の使い方”)だけ。それなのに合気道では相手を容易に崩せますし、空手では浸透する突き・蹴りができます。ダンスでは音の波に乗り自由に表現できるようになっています。当然練習は一切していないのでどの種目も技術的には下手です。

ですが、下手なのにできてしまうのです。

現在の僕の専門種目はロルフィング®︎や動作改善の指導ということになりますが、こうしたクロストレーニングの成果によって呆気ないぐらいに容易に身体を変化させるお手伝いができるようになっています。

クロストレーニング(他分野へのリスペクト)は上達を劇的に早めますのでおススメです。